★歴史探検に行こう★ vol.15 忍城【Report2】埼玉県行田市エリア 《そとあそびNO.177》
今回も『そとあそびの窓』を
覗いていただきありがとうございます
気軽にご覧になってください😊😊😊
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〜『そとあそび』の概念〜
何かを発見しに行こう
何かを探検しに行こう
目的を持ち『そとあそびの窓』を開け
1歩 そとに踏み出すのであれば
それは立派な『そとあそび』である
皆さんもご一緒に
そとあそびの窓を開け
非日常空間へ飛び出しましょう
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▽過去のそとあそび記録▽
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全国のキャンパーの皆さん
いつもお世話になっている読者の皆さん
如何お過ごしでしょうか
多くの方が引き続き世間体を気にしながら
既にコロナウイルス保持者なんだという考えで
他人に感染させてしまう要素がある行動を控え
感染リスクの低い選択肢を
慎重に選んでいかなければならない令和3年
筆者ファミリーも
念入りにリサーチを重ねながら
他人の迷惑にならないような
アウトドアライフを楽しもうと
慎重に模索している状態ですが
今回の『そとあそびの窓』は
【discover spotlight】
(地図を縮小・拡大してご覧ください)
前回の歴史探検に引き続き
歴史に残る大規模な『水攻め』を受けながらも
落城することのなかった
奇跡の城『忍城』のご紹介です
さあ
どんどん行ってみましょ〜🤣🤣🤣
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西暦2012年(平成24年)
映画公開された『のぼうの城』で
一躍全国区の知名度にのしあがった
戦国時代のターニングポイントとなる
西暦1590年(天正18年)
世に言う『小田原征伐』において
大掛かりで特殊な攻め方『水攻め』を受け
本陣の『小田原城』が開城するまで持ち堪え
『小田原征伐』で唯一攻略出来なかった
歴史に名を遺す城として映画化された『忍城』
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そんなエピソードを持つ『忍城』ですが
いったいどんな様子のお城であったのか
『水攻め』にも耐え抜いた現在の『本丸址』を
皆さんも ご一緒に覗いてまいりましょう
いざ‼️
Let's go to
discover someting‼️‼️
忍城本丸址に出発だ〜‼️‼️🙌🙌🙌
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利根川と荒川に挟まれた沼地のような場所に築かれ
まるで水に浮かぶ要塞のような構造をしていて
過去に幾度も城攻めに会うが
一度も落城することはなかったとされている
(写真を縮小・拡大してご覧ください)
さあ❗️『忍の浮き城』という異名を持つ
水に浮かぶ要塞の中心『本丸』へと
進んでまいりましょう
現在『二の丸址』から『本丸址』への入口には
深いお堀が『本丸址』を囲み
ちび探検隊たちが
まだ幼い頃にお邪魔した時は
『小田原征伐』時には存在していなかった
『御三階櫓』『高麗門』が城を固く守っており
近代城郭を思わせる復興建築になっていました
『忍城の戦い』当時の城は
砦に近い城だったとされているので
現在とはまったく異なる『本丸』だったと推測されますが
まあ これはこれで風情がありますね
頑丈な造りの『高麗門』を潜り
塀に沿って『本丸』を歩いていくと
江戸時代に桑名藩から移築された
『忍城の鐘』が建ち
遠くに見える『御三階櫓』
趣きのある光景ですね
続いて『行田市郷土博物館』を通り過ぎ
『本丸』の奥へと進んでいくと
『本丸址裏口』に移築された
『進修館表門』に出くわします
ここで一旦『本丸址』の外に出て
『忍城の戦い』の当時を思い起こさせる
遺構が残っていないか覗いてまいりましょう
当時の古地図では
お堀になっていて水の中であったであろう
遊歩道を進むと
敵の侵入を防ぐために盛土をして築かれた
『本丸』に沿って連なる『土塁』
この『土塁』こそが
かつて『忍の浮き城』と呼ばれ
豊臣軍の『水攻め』さえも耐え抜いてしまった
『忍城の戦い』の遺構に近いのではなかろうか
当時の『忍城』は石垣造りではなく
土を盛り木造の柵や鐘楼で城郭を形成した
砦のような城であったとされ
今歩いている この光景こそが
現在の遺構で1番当時の面影を遺す光景なのかもしれません
歴史は浪漫ですね
さあ 今一度『本丸』に戻り
『忍城の戦い』で城に立て篭もった
農民も含む約3000もの人々の心境に
思いを巡らせてまいりましょう
戦国時代において
さして大掛かりな規模の城でもなかった
『忍城』に立て篭もり
総勢2万と伝わる『豊臣軍』に抵抗した
農民を含む約3000の『成田勢』
圧倒的な兵力の差で
正攻法の武力で城攻略するも上手くいかず
『秀吉』の命令により
『石田三成』は大規模な『水攻め』を決行することになります
利根川を決壊させた迫り来る水が流れ込み
荒川も堰き止め 大量の水に埋め尽くされた
『本丸』だけが浮かび上がり
決して広くはない『本丸』に立て篭もるしかなかった
2万の大軍に包囲され続けた人々の心境は
如何なものであったのでしょうか
『忍城』に立て篭もる
農民を含む約3000の『成田勢』は
恐怖や不安と戦い 豊臣軍と対峙し続けながらも
主君の『成田氏』に最後まで着いていこうという
強い絆で結ばれていたのではないかと
思いを巡らせることができます
なぜならば
坂東武者と呼ばれた
忍城城主『成田氏』にせよ
日頃の領地治政の礎とする考え方
『武士から農民に至るまで全ての民を慈しむこと 必要ない民などいない』
という農民に負担を掛けまいとする精神が代々根付いており
『四公六民』の年貢率や『目安箱』の設置など
民衆が暮らしやすい国作りを関八州全域に浸透させ
善政を布いていたことが
主君と武士と農民の強い絆を産み出し
小田原征伐で唯一落城しない奇跡の城を演出した
原動力であったのかもしれません
ちなみに
『小田原城』の『総構』も
領地の農民たちも丸ごと含めて
敵軍から守り抜こうとした考え方から
構築されたものであることが
坂東武者の農民を大切にする思想が窺えるエピソードですよね
さあ皆さん
今回の『そとあそびの窓』の開けどころ
恐怖や不安と戦いながらも
立て篭もり続けた約3000の『成田勢』
城を総勢2万の大軍で取り囲まれた城下の様子や
大軍勢の指揮官として布陣した
『石田三成』の本陣『丸墓山古墳』の様子は
彼らの目にどのように映っていたのか
現在の『御三階櫓』から『そとあそびの窓』を開け放ち
一緒に覗いてまいりましょう
『本丸』に聳え立つ
現在の『忍城』のシンボル『御三階櫓』
江戸時代に石垣造りに変貌を遂げた
『狭間』を拵えた塀に囲まれ
『御三階櫓』は
現在も行田の町を見守っています
『忍城の戦い』の当時は
木製の物見櫓のような建築物から
城下を見晴らしていたであろうと推測されますが
当時の人々も
このような城下の光景を望んでいたのでしょう
大量の水に沈んだ広範囲の領土の遥か向こうに
『石田三成』の本陣『丸墓山古墳』が見え
全方位を取り囲む大軍勢の旗印
想像するだけでも戦慄が走りますね
▽行田市郷土博物館公式HPはこちら▽
歴史とは人間のドラマである
どちらが正義 どちらが悪と
簡単に住み分けできない人間のドラマが隠されている
重要なのは いつの時代も
それぞれの当事者の立場に立ち
時代背景を考慮し
それぞれの生き方の評価をすることだと筆者は思う
通説で愚将のレッテルを貼られた武将ですらも
当事者の立場に立ち時代背景を見れば
守るべきものを貫いた正義であったのかもしれない
さあ皆さん
今回のそとあそびは如何でしたでしょうか?
今宵は
ここまでに致しとうございます🙇🏻♂️🙇🏻♂️🙇🏻♂️
対する『石田三成方』の本陣『丸墓山古墳』と
『水攻め』の遺構『石田堤』の様子は
次回【Report3】にて
乞うご期待🔜
皆さんも
新型コロナ対策 マナーとエチケットを遵守し
楽しいそとあそびをお過ごし下さい
そとあそびの窓を開け
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素敵なそとあそびに巡り合えるといいですね
それでは また🙌
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