★歴史探検に行こう★ vol.20 川越(河越)のルーツを覗きに行こう 【縄文・弥生・古墳時代】埼玉県川越市エリア【Report3】《そとあそびNO.183》
今回も『そとあそびの窓』を
覗いていただきありがとうございます
気軽にご覧になってください😊😊😊
▽ブログ自己紹介記事▽ 《季節や用途に合わせたお洒落マスク》そとあそびを盛り上げてくれるファッションとしてのマスク選び《そとあそびNO.157》 - そとあそびの窓
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〜『そとあそび』の概念〜
何かを発見しに行こう
何かを探検しに行こう
目的を持ち『そとあそびの窓』を開け
1歩 そとに踏み出すのであれば
それは立派な『そとあそび』である
皆さんもご一緒に
そとあそびの窓を開け
非日常空間へ飛び出しましょう
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▽過去のそとあそび記録▽ 《新型コロナ感染拡大防止とそとあそびの在り方を考察してみた》今年の花見の在り方を考えてみよう《そとあそびNO.82》 - そとあそびの窓 《キャンプギアを考察してみた》vol.3 お洒落と収納を考えたインテリアとしての活用方法《そとあそびNO.67》 - そとあそびの窓
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全国のキャンパーの皆さんいつもお世話になっている読者の皆さん
如何お過ごしでしょうか
全国の緊急事態宣言解除を目前に控え
既に第4波が始まっていると囁かれる国内情勢
今年も花見の季節が近付いている中
もうひと波起きうる可能性を視野に入れ
多くの方が引き続き世間体を気にしながら
既にコロナウイルス保持者なんだという考えで
他人に感染させてしまう要素がある行動を控え
感染リスクの低い選択肢を
慎重に選んでいかなければならない令和3年
筆者ファミリーも
念入りにリサーチを重ねながら
他人の迷惑にならないような
アウトドアライフを楽しもうと
慎重に模索している状態ですが
今回の『そとあそびの窓』は
【discover spotlight】
(地図を縮小・拡大してご覧ください)
前回に引き続き
『河越の地』で栄華を誇った『河越氏』
彼らはなぜ この地に目を付けたのか?
更に時代を遡り『古墳時代』以前の
『川越(河越)』のご紹介です
さあ
どんどん行ってみましょ〜🤣🤣🤣
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【縄文時代】
紀元前4世紀以前
『古代・縄文時代』において
地球の温暖化で海抜が上がった地域から逃れ
集落の営みや文化を形成し
稲作の発展していったエリアが存在した
そのエリアは
『平安・鎌倉時代』に河越氏が居住地に選ぶことになる
『上戸』と呼ばれる入間川流域を基点にした
『川越のルーツ』の鍵となるエリアなのだが
まずは『縄文時代』の『川越エリア』の全体像から見てまいりましょう
(地図を縮小・拡大してご覧ください)
『縄文時代』には
『縄文海進』と呼ばれる海面上昇の現象により
内陸部にまで海岸線が深く入り込み
関東平野はほとんど内海であったと言われています
『地形図アプリ』で標高を操作すると
『縄文時代』の海岸線を
シミュレーションした地形図が出来上がり
青い部分は全て『海』だったという想像・仮説が
地形の標高から見えてくるんですね
この仮説の信憑性を裏付けるのが
沢山の『貝塚遺跡』の存在です
『貝塚』とは当時の人々が
食事の残飯やゴミなどを捨てていた
『ゴミ捨て場』の役目を担っており
人々の生活の状況がわかる
過去からの重要なメッセージなんですね
(地図を縮小・拡大してご覧ください)
過去に多数発見されているのですが
『縄文時代』のシミュレーションした海岸線と
実在する『貝塚』の遺跡跡は
実に見事にシンクロしてしまうんですね😵
関東平野は『内海』で構成されていたことを
裏付けるエビデンスになっているわけです
非常に勉強になりますよね🤔
さあ皆さん
現代とは地理的環境が異なっていた『縄文時代』に
『川越(河越)のルーツ』となる
当時の『上戸』エリアは
いったいどんな立地であったのか?
地形図を比較しながら
筆者と共にそとあそびしてまいりましょう
いざ‼️
Let's go to
discover someting‼️‼️
古代の川越を覗いてみよ〜‼️‼️🙌🙌🙌
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【縄文時代の川越(河越)エリア想像図】 (地図を縮小・拡大してご覧ください)
【現代の川越エリア地図】 (地図を縮小・拡大してご覧ください)
比較するとわかりやすいですが
『江戸時代』以降に発展していった
地図上の川越エリアの右半分に位置する
現在観光地として賑わう川越の城下町は
『縄文時代』にはほとんど海だったことがわかりますね
現在の川越の町中に遺る
赤い丸の地点が『小仙波貝塚跡』
町中にひっそりと遺されている
『貝塚』の遺跡跡が
『縄文時代の海岸線』の名残りを物語っていますね
【弥生時代】
紀元前300年頃〜西暦250年頃
『縄文時代』を経て
川越エリアの繁栄の中心地は
海岸線から左側の陸地に集落が作られ
入間川流域を軸として稲作が始まっていく
『上戸・的場』エリアを中心として
『弥生時代』へと繁栄を拡大させていくことになります
(地図を縮小・拡大してご覧ください)
その歴史を裏付けるように
近年『弥生時代』の遺跡と推測される
巨大な集落跡『霞ヶ関遺跡』が
『上戸・的場』エリア全般から発掘され
『川越(河越)のルーツ』である
この入間川流域のエリアが
古代から歴史上重要な土壌であったことが判明してきました
更に時代は移り
人々の集落が地方の豪族を産み出し
権力を持った豪族の墓が築かれていく
『古墳時代』へと突入していくわけですが
入間川流域も例外ではありません
さあ皆さん
今回の『そとあそびの窓』の開けどころ
古墳文化が華開いた時代の足跡
現存する貴重な『古墳跡』を
一緒に覗いてまいりましょう
【古墳時代】
西暦250年頃〜西暦538年頃
入間川流域を拠点にした
有力豪族たちの墓が築かれていき
更に文化が発展していく『上戸・的場』エリア
『川越(河越)のルーツ』として
古代から歴史の表舞台に君臨するこの地で
育まれてきたヒューマンドラマである
さまざまな『古墳』の顔ぶれを紐解いていくと
【牛塚古墳跡】
【鶴ヶ丘稲荷神社古墳跡】
【山王塚古墳跡】
【三変稲荷神社古墳跡】
【慈眼堂古墳跡】
【日枝神社古墳跡】
実に多彩な遺跡と出会うことができるんです
さあ皆さん
古代の縄文〜古墳時代の川越(河越)のルーツは
如何でしたでしょうか
文字としての記録も資料も
発見されていない古代にも
当時の地理的環境を克服し
生活を営み繁栄させてきた人々の正義があった
文化や文明が進化していく中
『河越』という地も
未来に繋がる重要な地を守るという正義感で
人々が襷を繋いでいった気がするのは筆者だけでしょうか
皆さんは どうお考えになるでしょうか
歴史とは人間のドラマである
どちらが正義 どちらが悪と
簡単に住み分けできない人間のドラマが隠されている
重要なのは いつの時代も
それぞれの当事者の立場に立ち
時代背景を考慮し
それぞれの生き方の評価をすることだと筆者は思う
通説で愚将のレッテルを貼られた武将ですらも
当事者の立場に立ち時代背景を見れば
守るべきものを貫いた正義であったのかもしれない
さあ皆さん
今回のそとあそびは如何でしたでしょうか?
今宵は
ここまでに致しとうございます🙇🏻♂️🙇🏻♂️🙇🏻♂️
ルーツを追い掛ける歴史探検
【古墳時代】に築かれた川越(河越)エリアの
さまざまな古墳の 細かい探検の様子は
次回【Report4】にて
乞うご期待🔜
皆さんも
新型コロナ対策 マナーとエチケットを遵守し
楽しいそとあそびをお過ごし下さい
そとあそびの窓を開け
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素敵なそとあそびに巡り合えるといいですね
それでは また🙌
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